瀬戸内晴美さん、安らかに

想い

仕事の帰り道の電車の中で開いたスマホから、瀬戸内寂聴さんの訃報が飛び込んできて放心している。瀬戸内寂聴さんが瀬戸内晴美さんだったころの文章に出会ったことで、私の人生は大きく変わっていった。初めて読んだのは、中学の教科書だったか、『大和の塔』という一編の随筆だった。法隆寺など奈良の古いお寺のことを綴った言葉に、清涼な色気を感じた。フェノロサが薬師寺の東塔を「凍れる音楽」と評したということを知ったのもこの文章だった。その表現に憧れ続け、数年後、実際に薬師寺を訪れたほどだ。澄んだ青空を背景にした水煙が本当に美しかった。その随筆の末尾、瀬戸内晴美さんのプロフィールの無邪気な笑顔との不思議なギャップに惹かれた。そしてそこに紹介されていた代表作『夏の終り』というタイトルが印象に残ったのをいまでも覚えている。実際に『夏の終り』を読んだのは大学生のときだった。その頃から抱いていた瀬戸内さんのイメージがずっと私の中にある。というよりも、その生き方に呼び込まれ、また私の方からも寄っていった感覚、といったほうが近いだろう。瀬戸内さんが出家したのは51歳のときだった。1973年のことなので、私が瀬戸内さんを知るよりもずっと前のことだ。けれど、いまその年齢に近い54歳になり、この秋、私は思い切って職をかえた。出家できたら、という憧れのような気持ちも実はあった。本当にそういう道も探ってみたりした。遠く離れ、高野山に修行にいく方法はないかと調べてみたこともあった。しかしながらそれはあまりに現実離れしていた。そして私は出家する気持ちで、新しい場所に飛び込んだのだ。瀬戸内寂聴さんの生き方を小説で、随筆で読み続けてきたことが、いま私に力を授けてくれている。私のような人間を受け入れてくれた今の場所、人々に心から感謝しつつ、出家した心づもりでこの先も生きていく。学生時代から何度か買い直しながらずっと手元に持ち続けている瀬戸内さんの自伝小説『いずこより』を久しぶりにめくっている。いまふと目に留まって改めて沁みた言葉を書き記す。「恩愛の情の薄い者が、肉親や愛欲を捨てやすいのではなくて、私にはむしろ、情の深く、恩愛に執着心の人一倍強い者こそが、その息苦しさの反動から、いきなり、自分の心臓を突き刺すような荒療治に出てしまって、気づいたときは、もうすでに、すべてを投げ打ち、放浪の途上にあるのではないかと思う」・・・ひとりでも生きていける。瀬戸内晴美さんという女性の生き方に巡り合うことによって、歓びも哀しみも、心の浮き沈みを味わえたことをありがたく想う。どうぞ安らかに。

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